アドリア海の真珠

少年の手先や肩に緑や黄色の色とりどりのオウムが乗っている。バンダナをかぶった少年が誇らしげに取り囲んだ聴衆の前に一歩出る。恥ずかしそうにしているが、本当は胸を張りたいのだ。そうだ!この少年は、スチーブンソンの『宝島』のシルバー船長の片腕を演じた“ホーキンズ少年”だと、そのとき気がついた。


アドリア海に面したドブロヴニクの街での出来事。街頭演芸師が、フランスからやってきた少年をホーキンズに変身させる。演芸師は片目のシルバー船長だ。5匹のオウムがよく飼い馴らされていて、冒険少年の雰囲気を演出する脇役になっているのだ。少年が、片手の鉄砲を持ち上げ、青くはれた空深くに向かって発砲した。バアア~ン、空一杯に少年の夢がはじける。彼には、このシーンは一生の思い出となろう。そして、この瞬間を刻印したドブロヴニクが生涯の心のふるさとになろう。

 

私はこの演出に感動した。日本の都市で、この少年にプレゼントした生涯のドキュメントをプレゼンテーションできるところが、どのくらい存在するかを考えた。買ってもらいたいおおみやげ品の溢れる日本の観光地で、少年の心に記念品を提供できるタウンホスピタリティの大切さが、どれほど気付かれているのか。 


ワイフが一枚の写真を撮った。少年の誇らしく愉快な面持ちがよく掴まれている。私は正直、舌を巻いた。

❢レコンキスタ(イベリア半島を巡る)

この冬もまた私は暮れから正月にかけてイベリア半島を巡っていました。何年か前から日本の慌ただしい時節を外国で過ごすことを半ば自分の習いにしようと思っていたこともありますし、また大学勤めのオフの時に少しずつ美の現場を歩いてみようとこれもだいぶ以前から考えていたのです。スペインとポルトガルはすでに何回かは訪れているのですが特に今回はゆっくりとこの地の美の始源から中世の宗教美術、近世・近代の圧倒的な美 のシーンに遭遇したいという期待を込めていたのです。


もう一つ私の想いのどこかに“ヘミングウエイのスペイン”といった感覚がありました。「日はまた昇る」を始めとして彼の長編や短編のモチーフの多くにスペインの街や酒場や風景のことが出てきますが、私にはたまらなくそういった情景が魅力的に思えるのです。旅の間中私は鞄の底にヘミングウエイの小説を入れて、思い出すたびにそれを取り出して読み耽っていたのです。

 

クリスマスの晩はサラマンカの新旧のカテドラルがライトアップして真っ暗な夜空に忽然と現れている姿をパラドールの一室から地酒のワインを片手に眺めていたものです。また元旦の明け方は、グラナダの街をまだ昨夜の馬鹿騒ぎの余韻を残したタキシードとドレスの若者の間を、ゆっくりとアルハンブラ宮殿に向かって登って行ったのです。人気のないカサ・レアルのアラヤネスのパティオに入ると池に落ちる噴水と私の靴音だけがして、水面に写った自分の影さえも凍ってしまいそうにシンとしています。

 

そんな街々を歩きながら、レコンキスタと呼ばれるキリスト教徒による国土回復運動がもたらした美と美の激しい衝突のことを考えていたのです。それはむろん今世界的なテーマである「文明と文明の衝突」に起因していることはいうまでもありません。結果的にキリスト教徒に征服されたイスラムの美と文明に、私はむしろ「唯ひとり、神だけが勝利者である」とする純粋な精神を感じたのですが、その純粋さ故に滅びゆく運命にあったことをも哀惜の情を感じずにはいられませんでした。自裁してしまったヘミングウエイがフランコの独裁に反対しあれだけスペインを愛した想いのなかには一体何があったというのでしょうか。やはり美への完璧なまでの憧 憬といったものが、アメリカ人である彼をしても鍵になる概念だと私には 思えるのです。

 

私にとってはなかなか出来ない贅沢な旅でしたが、<極めた美のなかに滅びが宿る>という教訓は大切なものでした。年をあらためた東京の雑踏のなかに身を置いて、今関係している東京・大田区のハイテクを軸にした産業政策を現実に考えても、これもまた“産業レコンキスタ”かななどどいう感慨が湧いて、旅の体験には深くて貴重な啓示が隠されていたようです。

 

❢2001年夢宙の旅(ミラノにて想う)

 2000年の暮れには、ミラノに滞在していました。その日の夜に、ムーティが指揮するコンサートが開かれるという情報を聞いて慌ててスカラ座の前にたむろしているダフ屋からチケットを入手しました。旅の手薄なファッションからそれでも一番だと思われるものをまとってスカラ座に駆けつけると、開演前のロビーは案の定着飾った紳士淑女が波打つように集まっています。少々気後れはするものの、案内された席は3階の1番という部屋で真横からステージが眺められる素晴らしいボックスです。思わずぼられたかなと思ったダフ屋に感謝したものでした。開演ぎりぎりにやって来た同室の品のいい二人はミラノ工科大学の教授夫妻で、ムーティが指揮台に立ってタクトを振り出した瞬間に教授は居眠りを始めます。オラトリオを従えたミサ曲が主体のコンサートでしたから、私も天にも昇る心地でしたが、ムーティのミサ曲で居眠りをする教授の贅沢さには生まれながらの貴族に違いないという思いを私に抱かせるものでした。


  正面のボックスに目を遣ると、イタリアの若きベンチャー起業家を想起させるりゅうとした3人の紳士とオペラ・カルメンのまさにそのカルメンがいるのです。カルメンはコンサートにはあまり興味がないようでしきりに露な両肩にまとっている薄絹のショールの形を気にしているのです。手摺りから少し頭を突き出してぐるっと見渡すと何百というボックスが馬蹄形にステージを囲んでいるのですが、ムーティのミサ曲がそれを宇宙を取り巻いている蜂の巣としてイメージさせるのです。この蜂の巣の中の恋人や夫婦や家族や起業家たちは何を想い、どんな人生を築いてきたのでしょうか。そしてこれからどこに行こうとしているのでしょうか。1000年の終わりの2時間を私は不思議な夢心地で過ごしたのでした。それにしても、あの明治の書生と同じようなヘアスタイルのムーティの頭をほぼ真上から眺めて敬虔なコンサートと蜂の巣の中のそれぞれの人間ドラマを楽しめたというのは、千年紀末を飾るにふさわしい体験のように思われました。

 

  明日から雪になるというミラノの街をタクシーに乗ってホテルに帰って来たのですが、冷たい部屋に入っても心は何かほかほかしていました。

 

  2001年は日本に戻っていましたが、世界や日本がどうなるのかはっきりしません。結構、厳しい時代が続くのかも知れません。しかし、だからこそ志や夢を絶やさずに、私が最近ポストベンチャーのテーマとして考えている“ミッションビジネス(志業)”を今年も多摩大学のゼミ生たちと研究開発していきたいと考えています。資本主義は21世紀、志本主義に進化することを期待しているのです。それもまた『2001年夢宙の旅』のエスキースのひとつです。

 

  これからも多くのことをご指導いただきたく思います。そしてどうぞこの新しい千年紀をそれぞれの想いでデザインしていただけますように。

 

  千年紀の始まり、宇宙創成のビックバーンの残響音に耳を傾けながら

 

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