にっぽん遊歩路

江戸を固めし 隅田川... 桜咲く

新緑の季節になっても桜が忘れられない。4月に江戸の3大桜名所向島に行った。桜橋から隅田川を見ると、花見は工学的な理由で行われてきたという確信をもった。
今まで、桜や花見は江戸の民俗、徳川家による庶民へ娯楽提供等の歴史視点でみていたが、今回、治水視点で考えてみた。
日本は、歴史的に隅田川等大きな河川の氾濫に悩まされてきた。氾濫は、堤防でおさえる。その堤防を踏み固めるためには、堤防を行き来する仕掛けをつくり、人の重石を活用してきた。行き来する仕組みは、桜を植えて花見客による重石だ。また、堤防界隈で祭りを行えば、人の賑わいでさらに踏み固まる。
これは、浅草の日本堤に行くとわかる。遊郭、桜と祭りによって人の往来が堤を固めたからだ。武田信玄による信玄堤も祭りと桜による川の堤防を固めたものだ。
花見は、散る桜を眺める無常を表す人文学的な面の否定はできないが、氾濫に悩まされた日本の治水という工学的な側面もあるのではないか。我が家の近くには、川の埋め立てでできた千川通りに3km以上の桜並木が続く。
花見は治水。江戸を構想する楽しみが増えた。(Reported by Gen Sakanishi)

明治神宮そぞろ歩き

静寂に包まれた明治神宮を、坂西元氏紹介の松田権禰宜の案内で逍遥する。途中折々の、松田権禰宜の深淵なるご講義があり、深く感銘を受けた。多くの訪日した外国人がこの神の杜をテーマにして散策する時代が来た。深い歴史を持つ日本文化の地下水脈を理解していただける「知の逍遥」である。樹々を渡る風の囁きに耳を傾け、木漏れ日が光の玉のように落ちてくる砂利の参道の感触を心で愛でる。世界宇宙の、未来の在り方を、大都市のど真ん中で自然と、文化と、そして人間の生き方と共創する存在を通して、私たちに「恒常型社会」のモデルを指し示しているように、私には思えてくるのである。

妖怪考

ちょっと前のことになるが、この2月の日本経済新聞の朝刊に、妖怪画家・柳生忠平氏が、「妖怪の持つ意味性」についてエッセイを寄稿していた。

 

柳生さんが生まれた小豆島は妖怪の宝庫のようで、その風土性の面白さが氏の妖怪性への興味を生み出しているようであるが、日本人の独特の感性や文化への寛容性を楽しく表現している。

 

小豆島をよく訪れる私は、忠平さんのことをよく存じ上げているが、世界広しといえども「妖怪画家」を名乗って、現代社会へ鋭いまなざしを投げかけるアーティストはそう多くはな無いであろう。妖怪は、日本の歴史文化が生み出した社会の深部や影の重要性を語るものであるが、彼のエッセイを読みながら、現代社会にもたくさんの妖怪が跋扈していることに気が付く。

 

もっとも、現代の妖怪の存在には、かわいげも正義への規範性も、実に乏しいことに呆れたり、悲しい思いを持つのは、私だけのとであろうか。妖怪作家の現代への鋭いまなざしにも、私は期待したい心持でいるのだが。

天国に旅立った瞑想する象「はな子」

昨日、吉祥寺で、武蔵野市観光機構のお招きで、『武蔵野市と吉祥寺の未来社会をデザイン』する構想講演の機会を得ました。

 

4つのフレームで、5つの社会デザインの実行モデルを提言しましたが、その大切で主要な構想モデルの1つは、子供たちに絶大な人気のある井之頭自然公園の象の「はな子」の「命を継承するAIを持ったはな子」の動く(生きた)象モデルの創造でした。齢70歳に近づいたはな子が、子供たち10人を乗せて公園を遊歩る、・・・人間の文明と自然の生き物の共生をいかに実現するかという命題を永遠に提起する意味を込めた「はな子マリオネット」の製作提案でした。この提言は、60人の参加者の熱い思いを結晶化するインパクトを生み出したのでは、と我ながら手ごたえのある構想提案になったように思えました。

 

本日も、その熱い思いを胸で反芻していると、観光機構の武藤事務局長から連絡がありました。「本日午後、齢70を前にして、はな子が天国に旅立ちました!」・・・なんという偶然、運命であるのか。昨日の講演会が、実は私たちにとって、はな子の地域社会に果たしてきた役割の顕彰の会であり、天に召されるはな子の幸せを支える会でも、あったのでした。この提言を、何とか実現さえたいものだと心から願っています。何回かお目にかかったはな子は、いつでも哲学し瞑想している象のように、私には思えました。

 

私たちは永遠に、はな子からこの混迷する世界に向けての、哲学する頑強な頭脳の所在を、学ばなければなりません。 尾のプロジェクトが昨日からスタートしたのです。合掌。

『妖怪製造装置』展:異界の空間に解き放たれた人間たち

現代妖怪ブームの原点のひとつ、柳生忠平氏の作品展『妖怪製造装置』展のオープニングに磁場に惹かれるように覗いてみた。妖怪とは、人間の無意識の世界に象徴的に存在するもうひとつの自己・・・とも捉えることができる。青山通りギャラリーTriplet。

打ち放しコンクリートに高い天井・・・そこに製造された妖怪群に囲われて、常磐津「戻橋」の妖艶な三味線におどろおどろの物語の展開。板戸に描かれた彼らが、抜け出して蝋燭の火に照らされて群舞する。世俗の世界から、異界の空間に解き放たれた人間たちは、己の無力を思わず念仏のように口から吐露してしまう。美味い小豆島地場の酒が、かろうじて異界の闇に揺ら揺らと漂う一本の綱のように、彷徨する精神を引き上げてくれた。

逃避するように、青山通りの俗界に降りると、そこはいつもとは違った暗闇が在って、切り裂くような一条の稲妻が、どうにか元の自分に戻してくれたように思えた。

アドバースドエィジ(先端年齢者)のファッショナブルビジネス

パリのビストロで、「フレンチポテト」と注文したら怪訝な顔をされたが「フリット」でなければだめだと、何年か前に教えられた。


いまや、その「ポテト」食文化が花盛り。ベルギー発祥のフリットスタンドが日本の原宿でも六本木でも、大賑わい。これらの流行店は都心ばかりかと思いきや、実は最も先端的な店舗は、鎌倉の長谷にある。大仏さまから3分の「COBARAカフェ・ひょうたん」である。コンセプトは小腹が空いたときに、フリットを気軽に摘まんでもらう。数坪の極小店舗であるが、大仏にやってくる外国人で引きも切らない。


実は経営者は私の友人の卜部ご夫妻。お二人が発想し、実現させた。私もまた、いろいろと知恵の相談に乗った。驚きは、ご主人が80歳、奥さんが70歳。後期高齢者、とは日本的表現で、私は「アドバースドエィジ(先端年齢者)」と呼んでいる。湘南に住まうお二人がファッショナブルな生活と感覚で始めたファッショナブルなビジネス。エィジドソサエティは、明らかに大変革を始めている。


小さなポテトショップが、世界の観光地・鎌倉も変貌させる。事業創業と観光地デザインの、<超モデル>として事業構想家の澤登信子さんと吉田博氏で、共同研究も開始。皆さまも、フリット・・・いやフラッとお尋ねあり。世の中、面白くなりそうだ

鎌倉世間遺産にみる生活風情

会議所ニュース2013.12.11
会議所ニュース2013.12.11

鎌倉に住まいを求めて、構想博物館を開設。はや5年たった。鎌倉の街を歩き、浜辺を散歩し、路地裏に迷い込む。数年前、台風一過の、博物館近くの坂道で、近所の方に「大仏様が見えますよ」と教えてもらった。その坂ノ下からの坂道を「仏見坂(ぶつみさか)」と、富士見坂に倣った名前を付けた。

 

鎌倉は、既存の観光名所だけでなく、日々の暮らしの中の<風情>が、実にいいのだ。「生活風情」と呼んだらよいのであろうか。本当は、市民の一人ひとりがそれらを大切に思い、誇りにしている。

 

私は、日本の各地が大騒ぎしている「世界遺産」ではなく、市民が誇りにし楽しんでいる「世間遺産」こそが、これからのグローバル時代の「地域宝」だと、直感した。そこで、その思想を小論にまとめた。日本商工会議所の機関紙に載せてもらった。まちづくりに挑戦している日本の各地域の方々の参考にしてもらいたい、と願っているのである。

Paris遊行