「コミュニティ童話」創りの旅の始まり

例年2,3回は海外旅行をしているが、それは私の人生における楽しみであり、研究のフィールドでもある。旅行好きには残念なことではあるが、その楽しみがこのコロナ禍で絶たれてしまった。家籠りで持ち時間が増えたし、旅行用の資金が多少はある。そこで思い切って冒険の旅に出ることにした。頭の中で構想していた「コミュニティ童話」創りの旅である。友人のアーティスト・彦坂ゆね氏にお願いし、繊細なイラストを描いてもらった。多摩大学大学院で私のゼミに出入りしていた文化印刷業を営む追分健爾氏に美術印刷を依頼した。

 

「コミュニティ童話」とは、地域に暮らす人々の誰もが作家になって、暮らしの美風や、互助、共助、自助とそして天助の体験や、実験を童話の世界観で描き出す運動。私が勝手に思いついたことであるが、その生活童話のモデル制作を進めようとする魂胆だ。それがこの夏、完成した。

 

童話の主人公は、一匹の猫。<ちくわちゃん>というちくわ模様のいたいけな猫で、童話のタイトルは『ちくわちゃんありがとう』。酷暑の夏、皆さんのご協力のもとに日の目を見た。

 

絵も写真も印刷も自前で製作し、とりあえず仲間だけに読んでもらうための非売品。既存の規範がどんどん崩壊していく危機の時代の、「文化・芸術は危機を回避するのではなく、危機に直面する技術(ウンベルト・エーコの言葉)」の小さな試みです。こんな自前の運動が、地域にそして全国に広がっていくことを願っています。

 

ミンスター・フラーは閉ざされた脆弱な地球を「宇宙船地球号」と称した。資源枯渇だけでなく、コロナウイルスはその脆弱さを露呈させた。コロナ禍にあって私たちはどう生きるべきか。谷口正和はその答えを「革命1/2」と宣言する。過去からのご宣託をふるいにかけて半分に、未来には半分のエネルギーで希望を充填させた仮説を次々に発信せよ、という。あらゆるものを半分に、とは地球からの命題だ。私たちは、地球の片隅にある狭い操舵室から、その地球の未來と過去の半分ずつを操縦する叡智をいかに獲得するか、いま深く問われている。

忘れられない「忘れられた風景」

しばらくバルカン半島のブルガリア、ルーマニアを巡る旅をしてきました。テーマは「忘れられた風景」。村の革命家の家、塀と十字架、石畳の老猫、イコンと遺恨、などなど。どんな現象でも足早に過ぎ去っていく現代社会から離れて、村や町の沈殿して化石になってしまったような風景から、いまの時代を読み解く。むろん、日本のたくさんのコミュニティにも忘れられた、しかし心に沈殿している風景(生活の原石)があるはずだ、との想いを込めた旅になりました。

ジェニス・イザベルからの贈り物

サン・ラザールの駅前で、手回しオルガンをゆっくりした手つきで弾いていたルイと2匹の猫、アンジュとシェリが忽然と姿を消したのは、もう数年も前のこと。パリを訪れるたびに、私とワイフはその行き先を心の中で探し続けていたのでした。クリスマスも近いある日、ギャラリー・ラファイエットの前を歩いていると懐かしいオルガンの音が聞こえてきます。気が付くと、雑踏の向こうに古びた傘の下で、オルガンの上に2匹の猫がもぞもぞとこちらの様子を眺めている姿があります。あっ、アンジュとシェリだ!!!。私たちはあわてて近づいたのですが、その姿は本当に似ていても、アンジェとシェリでありませんでした。オルガン弾きのおじさんもルイではありません。しかし、2匹の猫は懐かしげにこちらを向いて、顔をあげているのです。2ユーロのコインをカゴに入れました。オルガン弾きのおじさんは柔和な顔つきで微笑み一杯に、尋ねた猫たちの名前を教えてくれました。イザベルとジェニス。そう、二匹はアンジェとシェリ生き写しし。まるで、私たちにとっては、思わぬクリスマスの贈り物のように思えました。霙でも降ってきそうな曇り空でしたが、その日一日はアパールトマンに帰ってきても、温かい気持ちでいることができました。

グッゲンハイム美術館に想いを馳せる

ビルバオのグッゲンハイム美術館。グッゲンハイム財団とバスク自治州の初期契約が本年度の2017年で終わる。ビルバオモデルとして世界中で注目されたが、芸術文化を基盤にした地域再生の実質的効果に評価が下される。それにしても、バスク自治州政府の構想と実現力、フランク・ゲイリーの異才なデザイン、そしてグッゲンハイム財団のしたたかな経営手法。これらには、眩暈に近い感慨がある。私はビルバオ川のほとりで、時間を忘れて見入っていた

バスク地方の巡礼考

この1月末から、フランスとスペインに跨がるバスク地方を巡礼者となって巡った。不思議な民族といわれるバスクの人々から、幾つかの現代社会への啓示をいただいた。

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラまでたどり着き、聖ヤコブのカテドラルにお参りして、巡礼の旅を終えた。

 

商店街のアーケードの店で、種の多い干しブドウを買った。その種をかみ砕きながら、甘く渋い味わいを反芻していた。

 

近代の大構想家「ジュール・ベルヌ」

ナントをを訪れたもう一つの目的は、近代の大構想家ジュール・ベルヌの思想の原点に触れることであった。ベルヌのミュージアムはロワール川に面した小高い丘の上にあった。秋の2週間の休みを貰った子供達で舘は溢れていた。誰もが小ベルヌの気持ちであろう。

ベルヌは、80日間世界一周や地底旅行や月世界探検など、当時としては驚愕の構想を次々に打ち出した。しかし、ベルヌの真髄はSF作家のそれではなく、深い文明批判にあった。パリの都市をテーマに、コンピュータに支配される人間や金融資本主義に翻弄される人間を描き、人々にとって真の生き方とは何かを追求している。
丘の上の博物館からナントの、ブルターニュ公国の栄華を遺した街々が望めた。ナントは、いまフランスで一番住みたい街の上位に位置している。ベルヌの想いが、美しいこの街の力のひとつになっているのであろうか。

アドリア海の真珠

少年の手先や肩に緑や黄色の色とりどりのオウムが乗っている。バンダナをかぶった少年が誇らしげに取り囲んだ聴衆の前に一歩出る。恥ずかしそうにしているが、本当は胸を張りたいのだ。そうだ!この少年は、スチーブンソンの『宝島』のシルバー船長の片腕を演じた“ホーキンズ少年”だと、そのとき気がついた。


アドリア海に面したドブロヴニクの街での出来事。街頭演芸師が、フランスからやってきた少年をホーキンズに変身させる。演芸師は片目のシルバー船長だ。5匹のオウムがよく飼い馴らされていて、冒険少年の雰囲気を演出する脇役になっているのだ。少年が、片手の鉄砲を持ち上げ、青くはれた空深くに向かって発砲した。バアア~ン、空一杯に少年の夢がはじける。彼には、このシーンは一生の思い出となろう。そして、この瞬間を刻印したドブロヴニクが生涯の心のふるさとになろう。

 

私はこの演出に感動した。日本の都市で、この少年にプレゼントした生涯のドキュメントをプレゼンテーションできるところが、どのくらい存在するかを考えた。買ってもらいたいおおみやげ品の溢れる日本の観光地で、少年の心に記念品を提供できるタウンホスピタリティの大切さが、どれほど気付かれているのか。 


ワイフが一枚の写真を撮った。少年の誇らしく愉快な面持ちがよく掴まれている。私は正直、舌を巻いた。

❢レコンキスタ(イベリア半島を巡る)

この冬もまた私は暮れから正月にかけてイベリア半島を巡っていました。何年か前から日本の慌ただしい時節を外国で過ごすことを半ば自分の習いにしようと思っていたこともありますし、また大学勤めのオフの時に少しずつ美の現場を歩いてみようとこれもだいぶ以前から考えていたのです。スペインとポルトガルはすでに何回かは訪れているのですが特に今回はゆっくりとこの地の美の始源から中世の宗教美術、近世・近代の圧倒的な美 のシーンに遭遇したいという期待を込めていたのです。


もう一つ私の想いのどこかに“ヘミングウエイのスペイン”といった感覚がありました。「日はまた昇る」を始めとして彼の長編や短編のモチーフの多くにスペインの街や酒場や風景のことが出てきますが、私にはたまらなくそういった情景が魅力的に思えるのです。旅の間中私は鞄の底にヘミングウエイの小説を入れて、思い出すたびにそれを取り出して読み耽っていたのです。

 

クリスマスの晩はサラマンカの新旧のカテドラルがライトアップして真っ暗な夜空に忽然と現れている姿をパラドールの一室から地酒のワインを片手に眺めていたものです。また元旦の明け方は、グラナダの街をまだ昨夜の馬鹿騒ぎの余韻を残したタキシードとドレスの若者の間を、ゆっくりとアルハンブラ宮殿に向かって登って行ったのです。人気のないカサ・レアルのアラヤネスのパティオに入ると池に落ちる噴水と私の靴音だけがして、水面に写った自分の影さえも凍ってしまいそうにシンとしています。

 

そんな街々を歩きながら、レコンキスタと呼ばれるキリスト教徒による国土回復運動がもたらした美と美の激しい衝突のことを考えていたのです。それはむろん今世界的なテーマである「文明と文明の衝突」に起因していることはいうまでもありません。結果的にキリスト教徒に征服されたイスラムの美と文明に、私はむしろ「唯ひとり、神だけが勝利者である」とする純粋な精神を感じたのですが、その純粋さ故に滅びゆく運命にあったことをも哀惜の情を感じずにはいられませんでした。自裁してしまったヘミングウエイがフランコの独裁に反対しあれだけスペインを愛した想いのなかには一体何があったというのでしょうか。やはり美への完璧なまでの憧 憬といったものが、アメリカ人である彼をしても鍵になる概念だと私には 思えるのです。

 

私にとってはなかなか出来ない贅沢な旅でしたが、<極めた美のなかに滅びが宿る>という教訓は大切なものでした。年をあらためた東京の雑踏のなかに身を置いて、今関係している東京・大田区のハイテクを軸にした産業政策を現実に考えても、これもまた“産業レコンキスタ”かななどどいう感慨が湧いて、旅の体験には深くて貴重な啓示が隠されていたようです。

 

❢2001年夢宙の旅(ミラノにて想う)

 2000年の暮れには、ミラノに滞在していました。その日の夜に、ムーティが指揮するコンサートが開かれるという情報を聞いて慌ててスカラ座の前にたむろしているダフ屋からチケットを入手しました。旅の手薄なファッションからそれでも一番だと思われるものをまとってスカラ座に駆けつけると、開演前のロビーは案の定着飾った紳士淑女が波打つように集まっています。少々気後れはするものの、案内された席は3階の1番という部屋で真横からステージが眺められる素晴らしいボックスです。思わずぼられたかなと思ったダフ屋に感謝したものでした。開演ぎりぎりにやって来た同室の品のいい二人はミラノ工科大学の教授夫妻で、ムーティが指揮台に立ってタクトを振り出した瞬間に教授は居眠りを始めます。オラトリオを従えたミサ曲が主体のコンサートでしたから、私も天にも昇る心地でしたが、ムーティのミサ曲で居眠りをする教授の贅沢さには生まれながらの貴族に違いないという思いを私に抱かせるものでした。


  正面のボックスに目を遣ると、イタリアの若きベンチャー起業家を想起させるりゅうとした3人の紳士とオペラ・カルメンのまさにそのカルメンがいるのです。カルメンはコンサートにはあまり興味がないようでしきりに露な両肩にまとっている薄絹のショールの形を気にしているのです。手摺りから少し頭を突き出してぐるっと見渡すと何百というボックスが馬蹄形にステージを囲んでいるのですが、ムーティのミサ曲がそれを宇宙を取り巻いている蜂の巣としてイメージさせるのです。この蜂の巣の中の恋人や夫婦や家族や起業家たちは何を想い、どんな人生を築いてきたのでしょうか。そしてこれからどこに行こうとしているのでしょうか。1000年の終わりの2時間を私は不思議な夢心地で過ごしたのでした。それにしても、あの明治の書生と同じようなヘアスタイルのムーティの頭をほぼ真上から眺めて敬虔なコンサートと蜂の巣の中のそれぞれの人間ドラマを楽しめたというのは、千年紀末を飾るにふさわしい体験のように思われました。

 

  明日から雪になるというミラノの街をタクシーに乗ってホテルに帰って来たのですが、冷たい部屋に入っても心は何かほかほかしていました。

 

  2001年は日本に戻っていましたが、世界や日本がどうなるのかはっきりしません。結構、厳しい時代が続くのかも知れません。しかし、だからこそ志や夢を絶やさずに、私が最近ポストベンチャーのテーマとして考えている“ミッションビジネス(志業)”を今年も多摩大学のゼミ生たちと研究開発していきたいと考えています。資本主義は21世紀、志本主義に進化することを期待しているのです。それもまた『2001年夢宙の旅』のエスキースのひとつです。

 

  これからも多くのことをご指導いただきたく思います。そしてどうぞこの新しい千年紀をそれぞれの想いでデザインしていただけますように。

 

  千年紀の始まり、宇宙創成のビックバーンの残響音に耳を傾けながら