人生での出会いを想う

これまでは、私は多くの人々のことを書いてきましたが、今回は教え子?の一人が、こんな風に私のことを表現してくれました。面はゆい限りですが、一緒に学んできた方々が、それぞれ立派に進化してくれている、ということの証でしょう。率直に、大した力を持たない私でも、うれしいことですね。

第一回国際海洋観光フォーラム

静岡県の清水市で育った。この季節になると、心が騒いで中学生の私は「赤ふん(褌)」を取り出したりした。夏休み前に、三保の松原での水泳合宿があって、男子は全て赤ふんで参加するからだ。「われは海の子」という気持ちがDNAのどこかにあったのであろう。


岡山県の笠岡市名木島で、『国際海洋観光フォーラム』が開かれた。構想博物館の近隣に、商船やタンカー、クルーズ船の船長として地球の7つの海を踏破してきた辻野圏輔キャプテンがお住まいで、彼の友人が実は私の盟友・藤村望洋氏だ。彼らは根っからの「海人」で、以前から海に囲まれた日本の、<海洋活用>すなわち<海洋観光>の市場創造を構想化していた。彼らの集まりが時には、構想博物館であったりしたから、私も参加し構想創りのお手伝いをした。その構想実現のキックオフが、実はこのフォーラムであったのだ。世界の海洋観光の舞台は、エーゲ、アドリア、カリブであるが、それらの海洋資源に比肩し優れた資質を持つのが瀬戸内海だ。その瀬戸内海の小さな島・名木島に海洋観光を応援する人々が想定以上に大勢集った。


最初に講演をさせていただいたが、以前から興味を持っていた『海と日本人』というタイトルである。農本主義国家観に対する『海洋資本主義国家観』を提案したかったからである。その材料としては例えば司馬遼太郎の『菜の花の沖』の高田屋嘉兵衛を縦横に描いた海洋商業資本論や、網野喜彦の『海民と日本社会』にある「海民社会」の持つ閉塞社会を打つ抜くダイナミズムへの視点である。そして、時間をかけて内海に形成された網人(あみうど)たちの高度なネットワーク社会(ビジネスマトリックス)の人間(じんかん)組織論が、次なる社会への高次なモデルとなる予感である。まだ未定稿的内容であるが、研究素材としては構造化ができたように思える。


フォーラムは、藤村氏の「国際海洋観光の市場創造」やテクノレジャーの神谷吉紀社長による「ヨーロッパ流チャーターボートの人材育成」などで、大いに盛り上がった。小豆島からも、私の多摩大学大学院の教え子・柳生好彦氏にご参加頂き「瀬戸内海オリーブ共和国」構想を披瀝いただいた。国交省海事局の大石英一郎課長の最後のまとめも見事だった。確実に海民文化の次なる芽が、ほうはいとして起こり、海洋資本主義の時代を大胆に描いていくだろう。

 

島から笠岡港に向かうチャーターボートは、荒波に揺れた。私の海洋観光への期待も、さらにダイナミックに揺れ動いていた。

オリーヴ・スカイ・ウェイ《世界一幸せな人々が暮らす小豆島へ》

暑い夏の残滓を、初秋の魔法使いが後片付けをする季節に、私は一人の美丈夫な青年の訪問を受けていた。「この若造の私が、松下幸之助の片腕・高橋荒太郎氏の信託を受け、島で健康産業を始めることになった。一体どうしたらよいのか。」 そう切り出すと、小豆島からやってきた青年は、真っ直ぐなまなざしで、自分の想いを話し出した。

30年以上前の話。その情熱に満ちた青年の名前を、“柳生好彦”といった。代々木公園の蜩が、さらに賑やかになった頃、私は彼の話を聴き終えて最後に一言、「島を興しなさい。あなたを育ててくれた小豆島が、あなたの事業を育ててくれるでしょう。」 思い詰めていた青年の頬が紅潮し、瞳に強い光が差した。

 

 いま、私の手に、一冊の本が開かれている。『オリーヴ・スカイ・ウェイ』、本の表紙を、スペインから移植した樹齢1000年のオリーヴが飾っている。それだけのシンプルなものだ。  その後の健康産業の進展と、オリーヴ特区となった小豆島の島産業と島づくりへの挑戦が、鮮やかに描かれている。柳生好彦氏は、事業創造と島創造を融合させる40年の奇跡と、またこれからの100年の未来を構想する道程について、多摩大学大学院で研究し、苦労してまとめ挙げた。その記録の一冊である。

 

 この本を貫く事業コンセプトは、<発酵産業>、そして“世界一幸せな人々の暮らす島”づくりの哲学は、<免疫系の社会>である。この考え方は新しく、しかし根本的で、小豆島に留まらない世界中の地域社会への規範となるものであろう。

 

 あの30年前と同じ、初秋の魔法使いの現れる季節となった。現代文明は、その魔法使いさえ、追い出そうとしているのか。しかし、柳生好彦氏の著した『オリーヴ・スカイ・ウェイ』は、島の、いや宇宙の中の島としての地球の未来への洞察を深く孕んで、魔法使いとの親和性を指し示していると思えた。

 

 なぜか幸せな気持ちで、本を閉じた。遠くで蜩のなく声が、聞こえている。