望月照彦 [生き方の美学]

 

 

「われら、いかに生きるか」


――人生のデザインを考える――


 

 

これから何を大切にして生きていくのか、お話ししましょう。ここに私なりの美学があります。

本編は、知的生産の技術研究会の季刊誌にて掲載されたインタビュー記事の最終章です。故TY先生から「最終章は、わたしのこれからの日々に大きな波紋を投げかけるような予感がします」との評価をいただいたことから、改めて本サイトに掲載することにいたしました。

本誌は知的生産の技術研究会にて入手可能です。

 

私が30歳代の中頃、まちづくりに傾注していた時代です。H大学のTS先生に、まちづくりを学ぶなら大分の湯布院に行きなさい、とアドバイスされKMさんを紹介されました。丁度、湯布院映画祭が開かれていた秋の盛りの頃、Mさんを訪ねたのですが、彼はKN、KSの両氏も呼んでおいてくれ、まちづくり三人衆で私を歓待してくれました。昭和30年代から40年代に掛けて、湯布院も様々な波に洗われていました。自衛隊の駐屯地となったり地震に襲われたりで、あらぬ風評が立ったのでした。

 

もともとここは別府の奥座敷といわれていた温泉地ですが人気が落ちてしまった。そんなときドイツのリゾート地・バーデンヴァイラーを視察する話が持ち上がりました。そこはヨーロッパの人気の町で、本当のリゾートとは何かを考える良い機会になる、ということでした。Mさんを始めとした三人衆は、そこで人生の転機となるホテルのオーナーに出会います。真のリゾートとは何か、という問いに彼は「静寂と緑の環境だ」とこともなげに答えます。そして、返す言葉で「君たちはそのための努力をどんなふうにしているのだ」と問い詰めてきます。三人衆はただただ押し黙るしかなかったのです。


実は極楽寺暮らしを決心したのは、それが大きな動機としてありました。まさに静寂です。“ノイズ“というのも、大切な役割を果たしています。人間の発想を促すノイズもあります。しかし、静寂がなかったら真のノイズもありません。この極楽寺の構想博物館の周辺は、ずいぶん古くからの分譲地だったということですが、昼も夜も木々をぬっていく風や、野良猫の声しか聞こえません。静寂が、私の貧弱の思考でも、鋭利に研ぎ澄まされる後押しをしてくれます。

 

静寂ともう一つの想いは、思念、芸術、宗教そして心の発生はどこからきたのか、ということです。ヒントは「暗闇」にあります。私は、極楽寺の環境が、夜になると漆黒の闇が訪れるというところに感動しました。むろん、月夜の夜には月明かりが森や林を包みます。登ってくる階段の脇には街灯も点っています。しかし、都会の夜には無い闇の世界の重さを感じました。闇の復権を、思ったのでした。

 

古代の人たちはいろいろな外敵から身を守るために、洞窟を活用した。そこを住まいにもした。洞窟の中は真っ暗だった、その暗闇の中で存在するのは人間の思念です。真っ暗闇にわざわざ身を置く、仏教に体内回帰の修行があります。暗闇の中に長い時間いると、体の内部から光が見えてくるといいます。真っ暗で光がひとつもないところで、内部からものが見えてくる。内部から新しい思念・心性が生まれてくる。それが宗教の発芽となる、その中から脳の活動が生まれてくる。暗闇が思念や芸術や宗教、心までも生み出したのではないか、と最近では考えられているようです。

 

ラスコーやアルタミラの壁画などは、これらの事実を実証しているでしょう。

人間の脳は本当によくできています。右脳・左脳と、人間には2つの脳があるのですが、一つは理性の脳、もう一つは感性の脳です。この2つがあることで、人間は心のバランスを取っているのです。こういうものをより発達させたものが暗闇である、静寂と暗闇、これがまさに人間が存在する基盤としてある。ラスコーやアルタミラの壁画には、動物たちがいっぱい描かれている。

 

一般には狩りが成功するようにと願って描いたといわれていますが、そうではなく動物たちも仲間として描いている、あらゆる生き物を共同体としての世界観として描いた、と例えば宗教学者の中沢新一氏は解釈している。そこにコミュニティの本当の姿がある。いまの人間社会のように差別や格差をつくるのではなく、牛も馬もライオンすら仲間なんだという発想は、単純なエコロジーを超えて、崇高な宗教の世界です。

 

私がここに居を構えたというのも、ここでは鳥や猫などの動物の声以外は聞こえてきません。そうそう、蝉の声も聞こえてきます。3年前にここに来たときに夜はシーンとして静寂そのものでした。ときどき鳥がねぼけたように鳴くだけです。しかし驚いたのは、朝の4時になると、ひぐらしが鳴きだします。一斉に2万匹のひぐらしの声は、その声自体が空中に浮かんでいるベッドのような役割を果たします。そのときにいろんな発想が浮かびます。飛躍がおこります。静寂と驚きのノイズ、それが飛躍させるのですね。静寂と暗闇こそが新しい次の光を生み出すのです。

 

そこに、生きているという実感があることを、私は発見するのです。これからそんな人生を続けられることを、私は幸せに思うのです。

 

137億年前に、宇宙はビックバーンによって誕生したといわれています。

そのビックバーンの大音響が、残響音として逓減はしているのですが、いまでも鳴り響いているということです。ひぐらしの声を、私は最初その残響音と間違えて思っていたのですが、そのうちに真の静寂の中から、その残響を聞くことができるでしょう。それも、この地に暮らす人生の楽しみになっているのです。